2021-04-22 第204回国会 参議院 環境委員会 第7号
ワンダーフォーゲルというのは、資本主義の発展期に人間が疎外されるという環境が生まれる中で、自然の中で人間性を回復しようというドイツやヨーロッパから広がった運動であります。私も、里山から日本アルプスまで、日本各地の豊かな自然に接してまいりました。働くようになってからも、職場の仲間たちや家族と一緒に自然を楽しんでまいりました。
ワンダーフォーゲルというのは、資本主義の発展期に人間が疎外されるという環境が生まれる中で、自然の中で人間性を回復しようというドイツやヨーロッパから広がった運動であります。私も、里山から日本アルプスまで、日本各地の豊かな自然に接してまいりました。働くようになってからも、職場の仲間たちや家族と一緒に自然を楽しんでまいりました。
法人設立時には七割、発展期には九割となっておりまして、一部出資の活用を求める声も存在という程度なんですね。
特に、中国は、研究開発費そのものを伸ばすだけでなく、基礎研究の割合を一五%以上にすることを目標にするとともに、アメリカやヨーロッパの一流大学に戦略的に自国の若者を送り込み、その研究者たちが国内に戻って拠点を構えた今、中長期の産業競争力や、安全保障をも左右すると言われている量子技術の発展期を迎え、爆発的な躍進につながっています。
日本は当時、まだ戦後の復興期からようやく経済発展期に差しかかったところでございまして、国民一人当たりGDPが三十九万円、ドルに直しまして千八十三ドルだったと資料には書いてございます。外貨準備高が二十億ドルでして、二十億ドルを切ると、当時、大蔵省の中、大慌てで、輸入制限、例えば金利を上げるなどして輸入を制限する政策を取るというのが常でございました。
そんな中で、今、経済産業省の今回の法律に極めて関連すると思いますこの産業クラスター政策なんですが、昨日、担当の方にお伺いしましたらば、二〇〇一年から二〇一〇年にかけて予算事業としては百億円使いましたと、ただ、その後は自律発展期だということで政策的には今は何もしていませんと、こういうお話をいただいています。
ある意味で阪神大震災というのは、大変悲惨な事件でありましたけれども、その後のNPOの第一次の発展期のきっかけとなったというような効果もあると思います。今回の東日本大震災でも、多くの若い人たちがボランティアに駆けつけて、阪神のときに生まれたNPOが、今回、そのときのノウハウを生かして非常にいい仕事をしている、そういう事例もたくさんあると思います。
ちょうど日本の戦後の発展期におけると同じように、畜産物などの需要も高まってくるというようなことがあります。 加えて、トウモロコシがバイオエタノールの生産の方に回っていく。あるいはブラジルなどでは、サトウキビからのバイオエタノールですけれども、大豆などがサトウキビの方にシフトをしていく。
今後、そうしたような時代が早晩到来するだろうというように思いますので、今までは、いわゆる経営基盤が脆弱になったときの統合の余波がございますけれども、これが安定期を経て発展期になれば、雇用についてもかなり期待をすることができると私は思っております。
しかし、これからはそうした自立した形で、自分も規制が外れて自分が自由にやれる代わりに、しかし責任もちゃんと持っていく、そのような社会にこれからなっていくわけでございまして、それを目指しているわけでございまして、そういうことをして新たな次の本当の意味での真の民主主義、真の自由主義を謳歌しながら日本が次の第二の発展期に入っていく、それを私たちは願いたいと、このように思っている次第でございます。
この国は、第二次世界大戦に不戦の伝統を守り抜き、黄金の六〇年代と言われた経済発展期に、また高齢化率一四%台となったときでもあり、国民的な大論議となったと聞きました。
この基本法の背景には、戦後の復興期を経て経済の発展期に差しかかり、建築用材、パルプ用材としての木材需要が急速に拡大する一方で、戦中戦後の乱伐からようやく復旧した山林では生産供給が追いつかないため、林業の安定的な発展への要請の高まりでした。
そして、日本の、いわば発展期といいますか経済成長期の方々は、ある意味でその経済的な発展に支えられて文化的意識も向上したということがあったのでしょう、余りそれがもたらす議論をなしに、それを日本国という国家全体の中に定着させたというわけです。
そういう歴史をいろいろひもといてみると、参考人の御意見を伺うまでもなく、経済の発展期には人口はふえる。それから、停滞期そして衰退期には人口が停滞し、また減少していく。これは歴史が示す現実であろうというふうに思うわけであります。 戦後五十年たって、さまざまな問題のうみが出るように、政治、経済、社会、いろんな病理現象が出てきている。
それが高度経済成長とその後の一世代分くらいは、つまり今日、今までの戦後の発展期というのが非常に人口学的に言うと負担の少ない、そういう大きな時代的な特徴を持っていたわけです。二〇〇〇年以降、大まかにですけれどもまた状況が基本的に変わってしまいます。
こうした推移を見ますと、やはり人口の変化といいますのは、経済社会の発展期にはふえて、停滞期にはふえない、あるいは減少しということが繰り返されてきたわけであります。 もっと大きく世界の人口の動きと文明の盛衰を対比させてみますと、それもはっきりあらわれております。 例えばローマ帝国というのは、拡大期には人口も急激にふえて、紀元一世紀にはローマ市の人口が百万を超えていたと言われます。
中だるみが懸念されるということも先ほど言いましたけれども、一応中一、中二を基礎期、それから中三、高一を充実期として、高二、高三を発展期ということで、特に発展期の段階で今まで勉強して培ってきたことをもとにしながら研究課題発表をするわけですけれども、いわゆる卒業論文みたいなものですが、非常にユニークなものがあります。後でまたもし必要があれば御紹介したいと思います。 以上で終わります。
かつてのリーディング産業であります自動車や家電産業の発展期の状況というのは、それはすばらしかったというか、すごかったですね。目に見えるような形で次から次へと本当に大きく発展していった。しかし、同じようにリーディング産業と言われながら、電気通信事業、まあ発展している分野もあろうかと思いますが、全般にわたってそういった印象を私は受けないわけです。
例えば戦争直後の復興期におきましては、貧困からの脱却という観点での青少年の保護という対策が中心であったろうというふうに思いますし、その後の経済発展期におきましては、経済の発展に伴います例えば核家族化あるいは高学歴化、そういうことから発生します諸問題に対して青少年をどういうふうに保護していくかという状況であったろうというふうに思っております。
○松下参考人 ミドリ十字という会社は昭和二十五年に発足いたしまして、小さい会社でございますし、いろいろな面で発展期で人材を求めておるという段階でございますので、研究開発なんかでも優秀な学問的な経歴のある人はどんどん採用しておった時期で、たまたま今村、富安両氏のうわさを聞きまして、私、今御指摘のように直接使ったこともございますけれども、退官いたしましたのはいずれもほかのポストでございます。
この間、いろいろ功罪はございますけれども、いずれにしましてもこの戦後の五十年という月日は我が国の新しい発展期でもあり、またそれが今停滞しておるという難しい時期に差しかかっておるわけでございますが、この平和憲法のもとで一度も戦争経験のない自衛隊というのが四十何年間続いておるということ、したがって国民も既に過去のあの大きな戦争を忘れておる。
これに対して、我が国では平均十七年というような事実もあるわけでございますが、発展期にあるベンチャー企業が株式公開をし資金を調達しやすくなることは非常に喜ばしいことであり、また重要なことであると思っております。